MINI

こんなMINIはアリ⁉︎個性的な派生モデルを紹介【クラシックMINI/ローバーMINI】

不要なものを極力省いたシンプルでお洒落な箱型ボディと、ラリーでも活躍するほどの優れた走行性能。

「小さな巨人」とも呼ばれていた「クラシックMINI」や「ローバーMINI」の時代には、様々な派生モデルが登場していました。

そこで今回は、そんな「クラシックMINI」や「ローバーMINI」時代に登場した個性溢れる派生モデルをご紹介していきます。MINI好きの方は、ぜひ目を通してみてください。

大衆の味方として登場した「クラシックMINI」

まずは現在のMINIのルーツである「クラシックMINI」についてご紹介していきます。

MINIの歴史の始まりは1959年まで遡ります。

当時は終戦直後の活気のある時代背景で、人々の間では質素な暮らしから脱却したいと考える風習が流行していました。

しかし戦後は急激な物価の上昇や税金、ガソリンの値上げが重なり、車を所有すること自体が非常に困難な環境でした。

そこで当時のBMCは「車=贅沢品」の状況を打破するために、コンパクトで誰もが手に入れやすい大衆車として「クラシックMINI」の販売を開始します。

ただ、登場当時の「クラシックMINI」の売れ行きは芳しくありませんでした。あまりにも斬新なモデルであったため、人々に受け入れられるのに時間がかかったのです。

しかし徐々にレースでの活躍や、著名人が「クラシックMINI」を所有することで徐々に人気が広まり、次第に国民の大衆車として浸透していくことになります。

この時代のMINIは自動車学校の教習車や郵便配達車、パトカーにも採用されていました。

 

クラシックMINI / ローバーMINIの変遷

1959年にイギリスのBMCから販売された当時は、「モーリス・ミニマイナー」「オースチン・セブン」という2つのチャンネル名で登場しました。

開発段階の構想時は、

  • 乗員4人とその荷物が詰める十分なスペースが確保されていること
  • エンジンは既存のものを使用するが、運動性能と経済性は改良すること

といった、コンパクトな小型車にしては求めるレベルが非常に高いものになっていました。

そこで開発者のアレック・イシゴニス氏は、最大限の乗車スペースが活用できるよう、FF駆動にショートオーバーハング、ワイドトラックを採用した箱型のデザインを設計。

誰もが知っているあのかたちのMINIを生み出したのです。

後にこのデザインコンセプトは「ローバーMINI」として生産終了する2000年まで続き、現在も「クラシックMINI」や「ローバーMINI」は中古市場で高い人気を誇ります。

このような唯一無二の存在として認められた「クラシックMINI」や「ローバーMINI」ですが、実は年代毎に様々な改良や変更が加えられています。

まずは「クラシックMINI」や「ローバーMINI」時代の変遷を見ていきましょう。

Mk-Ⅰ (1959年〜67年)

MK1

「モーリス・ミニマイナー」「オースチン・セブン」という名のもとで登場した初代MINI。

10 インチの小径タイヤを車体の4隅に配置し、乗員・収納スペースが車体の8割を占めるという、当時のコンパクトカーとしては革新的な広さに仕上がっていました。

また、エンジンの排気量は848ccで最高出力は34馬力。最高速度は120km/hという当時このクラスのお車としては十分すぎるスペックも持ち合わせていました。

ちなみに開発段階では948ccの37馬力と、さらにハイスペックな仕様となっていましたが、ブレーキやサスペンションに対して明らかにオーバースペックだと判断し、あえて出力を落として販売されています。

ただ、標準グレードは無駄を研ぎ落としたシンプルな仕様であったため、車に豪華さを求める層からはあまり好まれませんでした。

そこで後に、BMCは豪華装備を搭載したワンランク上のグレード「デラックス」「スーパーサルーン」「スーパーデラックス」を登場させます。

さらに、”世界でもっともラグジュアリーな小型車”という販売スローガンを持つラグジュアリーモデル「ウーズレー・ホーネット」「ライレー・エルフ」の両モデルもラインナップに追加します。

それ以外にも、1964年にはゴムと流体の原理を活用した「ハイドラスティック・サスペンション」が採用されたり、1965年にはAT仕様が追加されたり と、技術的な小変更も繰り返されていきました。

MkⅡ (1967年〜69年)MK2

1967年に登場したMkⅡでは、リアウインドウとテールランプが大型化され、グリルのデザインも変更。最小回転半径も1mほど小さくなり、一層生活に馴染んだモデルへと進化しています。

また、998ccのエンジンが標準仕様のモデルに追加され、ラグジュリーモデルの「ウーズレー・ホーネット」と「ライレー・エルフ」には「巻き上げ式のサイドウインドウ」も追加されました。

MkⅢ (1969年〜77年)MK3

BMCがレイランド・モータースと合併した翌年の1969年、生みの親であるアレック・イシゴニス氏が技術統括責任者から退き、以降は徹底的に低コストで生産できるように再設計されたMkⅢが登場します。

MkⅢではこれまで採用されていた「ハイドラスティック・サスペンション」を廃止し、ドア外側に見えていたヒンジも内側へと変更。

また、コストダウンされた一方で、代わりに要望が高かった巻き上げ式のサイドウインドウは標準グレードにも採用。ドアノブのデザインも変更されています。

さらに呼び名を「BLMCミニ850/100 0」へと変更し、全長が長く設計された「クラブマン」 も追加されました。

 

クラシックMINI/ローバーMINI時代に生まれた個性的溢れる派生モデル

シンプルで箱型のボディを持つベースモデルのMINIは手を加えやすかったため、そこから様々な派生モデルが作られています。

例えばリア部分を徹底的に引き伸ばしたエステート型やピックアップトラック、ジープのような本格的なクロカン仕様車もありました。

ここからは、100種類以上にも上るとも言われている派生車 の中から、特に個性的なモデルをピックアップしてご紹介していきます。

オースティン・ミニ・カントリーマン/モーリス・ミニ・トラベラー(1960年)

クラシックMINIの派生モデルとしてまず登場したのがエステートモデルです。

「カントリーマン」や「トラベラー」の名前からもわかるように、遠方への旅行の際にも多くの荷物を持ち運べるようにと開発されました。

ちなみに「エステート」はイギリス英語で「ステーションワゴン」を意味します。

登場初期はボディ後部の外面に木枠が取り付けられたウッドテイストなデザインでしたが、後の輸出用のモデルにはオールスチールモデルも追加されています。

MINIらしい可愛らしさが残ったコンパクトワゴンとして人気があり、後に登場するバンやピックアップ、クラブマンなどのベース車両にもなりました。

ミニ・ピックアップ / ミニ・バン(1962年)

トラベラーの長いシャーシをベースに、リアガラスの代わりにスチールパネルを埋め込んだ「ミニ・バン」と、後部をピックアップ仕様にした「ミニ・ピックアップ」。

コンパクトなMINIに最大限の積載能力を持たせた商用モデルとして登場しました。

ちなみに「ミニ・ピックアップ」は、テールゲートを開くとライセンスプレートが後方から確認できるようにスイングする仕組みになっています。

当時の法律ではテールゲートを開けたままの走行も許されていたようで、このような仕組みは非常に重宝されていたようです。

ミニ・モーク(1964年)

実はアレック・イシゴニス氏は、MINIの開発と並行して軍用車の開発も行っていました。

「ミニ・モーク」と呼ばれる試作車は、ヘリでの吊り下げの移動やパラシュートで降下、積み重ねての保管も想定して作られたモデルです。

ところが最低地上高が低い「ミニ・モーク」は不整地走行に向かない理由で、陸・海・空軍全てで採用が見送られる結果となりました。軍用車として使うには、MINIのコンパクトな車体設計が仇となったのです。

そこで、BMCは軍用車としての道を諦め、一般ユーザー向けの市販モデルとして販売するようになります。

簡単な帆があるだけのルーフにパッセンジャーシートはオプション設定。

ゴルフカーのような「ミニ・モーク」は、当然ながら雨の降る欧州市場では不人気でしたが、一方で降水量が少なく暑さが厳しいオーストラリアでは高い人気がありました。

ミニ・マーコス (1965年)

ミニのコンポーネンツを使用して開発された本格スポーツモデルです。

当時はMINIの優れた運動性能に着目したチューニングメーカーやショップが、ワンオフのスポーツモデルの制作や、カブリオレへの改造を盛んに行っていました。

そしてワンオフモデルで最も有名なMINIが、イングランド南部にあるマーコス・カーズが開発した「ミニ・マーコス」です。

グラスファイバー製のボディとシャシーを持ち、その重量は480kg。空力を考慮したデザインからはベース車のMINIの面影はほとんど残っていませんが、唯一外側のドアヒンジだけはそのまま引き継がれています。

可愛げのある小さなスポーツカーというイメージを持つかもしれませんが、1966年のルマン24時間レースでイギリス車として唯一完走したという戦績もしっかりと残しています。

クラブマン・エステート(1969年)

「オースティン・ミニ・カントリーマン」と「モーリス・ミニ・トラベラー」の後継車として登場したのが「クラブマン・エステート」です。現在のクラブマンのご先祖と言って良いかもしれません。

フロント部分はこれまでの丸形状から角ばった形状へと変更。メリハリのあるボディデザインとなっています。

ただ、角型のボディに丸目のヘッドライトの組み合わせはあまり受け入れられず、結局は併売されていた従来型の方が残る結末に。そしてこれを機に、クラブマン系は一時的に廃止となります。

オースティン・アント (1968年※実現せず)

BMW MINIではお馴染みのSUVモデル「カントリーマン(クロスオーバー)」ですが、実はクラシックMINI時代にも小型のSUVモデルの開発は進んでいました。

「オースティン・アント」と呼ばれる小型4WDモデルの試作車は、軍用車として開発が進められていた「ミニ・モーク」よりも大型で最低地上高が高く設計されていました。

当時アレック・イシゴニス氏は「低価格で小規模農家の仕事用」としてこの車の開発を進めていたのです。

しかし、開発時期がBMCとレイランド・モータースの合併のタイミングと重なってしまったため計画は中止。残念ながら幻のモデルとなってしまいました。

後に日本のメーカーが小型SUVという新たなジャンルを開拓していくことになりますが、もちろんアレック・イシゴニス氏が設計した「オースティン・アント」は、それよりも随分前に存在していました。

「オースティン・アント」はイシゴニス氏の先見性を感じられる一台として、今後も語り継がれていくでしょう。

まとめ

シンプルで汎用性が高かった当時の「クラシックMINI」や「ローバーMINI」からは、個性的なモデルが沢山登場しています。

今回ご紹介していた派生モデルの中には、よく見てみると、現在のBMW MINIのクラブマンやカントリーマンなどに通ずるデザインやコンセプトを持つものもございます。

時代が変わっても、クラシックMINI時代の伝統はしっかりと引き継がれていると言えるでしょう。

Toto MINIのショールームには、BMW MINIの各モデルを展示しております。「クラシックMINI」時代の伝統を引き継いだ各モデルを、ぜひじっくりとご覧ください。

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